学ぶことができるのは幸せ
今日、明日とヒーラー養成スクールでガッツリと勉強してきます。
学ぶことができるのは幸せなことです。学ぶ時間があり、受講料の調達ができ、最低限の体力と意志力がそこに残っていなければなりません。それなりに高い価値観も持っていなければなりません。要件を満たすことができない人は世の中にいくらでもいる。
生きていくだけで精一杯の国の子供たち。自分の好きな本を買って勉強することが無駄な贅沢でしかなかった、私の祖母、祖父の世代の人達。そもそも、ついこないだまで日本は、戦争と荒廃からの復興にマンパワーのほとんど全てを注ぎ込んでいた。
私の子供のころ、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの家は、まだ玄関が土間でした。トイレはなぜが母屋と離れて独立していた。藁ぶきの屋根も普通に見ることができた。私の家は、お風呂をマキで沸かしていました(五右衛門風呂ですね)。近所の家もみんなそうだった。そんな時代から、50年もたたない内に、日本は猛烈な勢いで近代化しました。そして今の日本がある。僕は今、当たり前のような顏をしてシャワーを浴びてきた。
普通の労働者である自分が、いま自分の好きなことを学べるのは、世界史の中で奇跡といっていいほどピンポイントの、ラッキーなタイミングに恵まれているからだ。
だからこそ、自分の好きなことを真剣に勉強するべきだし、社会で機能を果たすべき。
日本に、いや世界に、いまの繁栄をひっくりかえすような大きな困難が起こるのか?まあ、いつかは起こるに決まってるんだけど、僕の生命時間の中で起こるのか? 想像もつかないが、もしそうなっても心身ともに元気で活動したい。
学べることの幸せを感じながら。