玉石混交

 
私が仕事がうまくいかずに悩んでいたとき、「パーソナルコーチ」みたいな人がいればいいな。と思ったものです。プロスポーツ選手にコーチがいるように、サラリーマンでも雇えるコーチがいないものかと思っていました。若いころ、それほど余裕も無かったのにカイシャの業務と全く関係なくビジネススクールに通っていたのは、求めても得られないコーチの代替物の意味が大きかったように思います。

ところが最近の5年ぐらいで、私が望んでいたようなコーチを職業とする人がかなり増えたように思えます。

私はあるコーチの「お試しコーチング」を受けたことがあります。3万円だったか5万円だったか、金額は忘れてしまいましたが、気ごころも知れない人の1回のコーチングに支払うには高い金額で、私にとってはかなり思い切った出費でした。

小ぎれいなホテルのラウンジで待ち合わせて、アイスティーか何かをいただきながら、そのコーチとの会話が始まりました。私はコーチの質問に合わせて、礼を失することの無いように、かつしっかりと思ったことを伝えるように話していました。コーチングを受ける側にも礼儀はあると思っていたからです。

そのコーチの話は、特に説教じみてもおらず、直接的な示唆に富むものではない、ありふれた世間話のように思えました。しかし私はそのことで不満を持ってはいませんでした。コーチとのコミュニケーションには、さりげないようでいて何か深い意味があるのではないかと期待していたからです。

そうしているうちに、私はコーチの目つきがおかしいことに気づきました。

彼の目つきは何か焦点が定まっていないようで、私と視線がキチッと会わない感じです。一人で何か考え事をしているようで、私が彼が何を考えているのか、いぶかしむ気分がこみ上げてきました。

「おかしい。」 「なんなんだこれは。」

そのうちに気づきました。

「この人はオレに何か仕掛けようとしているんじゃないか?」

私は彼に対する敬意も、期待も急激にしぼむのを止めることができませんでした。お金を払ってるんだから、元を取りたいという気持ちが一方でありましたが、「バカバカしい、もう帰りたい」という気持ちが抑えきれなくなりました。口数も減ったと思います。丁重にお話しを伺いつつ、私の方からそのミーティングを終える方向に誘導していました。

最後にコーチングのメニューがプリントされた紙をいただきました。丁寧にそれを受け取り、その場から逃げ帰りました。

気功を学んでいる今は、はっきりとわかります。彼は私の心を書き換えようとして技を繰り出していました。当時の私でも違和感を感じる程度の技量ですから、まだ学び始めだったんでしょう。極めて稚拙なやりかたで。

私は、お金を払って彼のOJT(on the job training)の実験台になったということです。バカにされたものです。お試しコーチングだから、二度と会わないかもしれないから、いい加減な扱いを受けたのでしょうか。

akunin

私は一般のカイシャの経験も長いので、サラリーマンが玉石混交であることを知っています。「石」のほうがどれだけヒドいのかも、いやというほど経験しています。それはやむを得ないことで、どの業界だって、「玉」は存在割合が小さいから「玉」なわけです。コーチングの業界も例外ではないということですね。しかしコーチングは単価が高いですから、「石」に当たったクライアントはたまったものではありません。

最低限、クライアントに対する誠意は持っているべきだと思います。初見のクライアントであれば、うまくいった場合と行かなかった場合の両方の場合を想定し、うまく行かなかった場合でも最低限提供できる利益を準備するぐらいは、職業人として当然の倫理だと思います。

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