ラーメン屋は一杯ずつが勝負

 
私のごく近しい人にラーメン屋を一人でやってる人がいます。入れ替わりの激しい業界でシッカリと固定客をつかんで、10年以上もよい評判を維持しています。大資本のチェーン以外では珍しい成功店です。しかし見ているとラーメン屋を一人で回していくのは体力的に無茶苦茶大変です。いや、どんな仕事でも大変だとは思いますが、体力的にね。

ramen

ラーメン屋は、数えきれないほどのラーメンを客に提供します。その一杯一杯のラーメンの味に、店の存亡がかかっています。一杯でも不味いモノを出してはいけません。常連客が思いがけず不味いラーメンを食わされたとき、「今まで何回もうまいラーメンを食わせてもらったから、1回ぐらい不味くても許してやろう・・・」とは、絶対に思ってはくれません。期待して足を運んだ分だけ裏切られた気持ちは強くなります。蓄積した信用が一瞬でマイナスに転じ、その客は来なくなります。

ラーメン屋だけではありません。本来全ての仕事は一回ずつが勝負のはずです。今日の仕事は昨日までの実績となんの関係もありません。今日のクオリティが全てです。だからこそ、新しい人が舞台に登場する余地があり、ベテランも手を抜くことなく頑張り、その戦いから健全な新陳代謝が起こります。

以前のカイシャ勤めはそうではありませんでした。入社以来の過去の仕事の成果が全てレコードされており、その実績で「身分」が定まり、「身分」が定まってしまうと、仕事をしようがしまいが、病気で長期間休もうが、待遇はほとんど変わらないというシステムでした。

ラーメンを作らなくても、不味いラーメンを作っても、代金を払ってくれていたのです。

だからこそサラリーマンは安心して仕事ができたともいえます。いったん評価を得たら将来にわたって生活が保障されると思えば、体調が悪かったり、仕事に集中できなくても、「あの時仕事をしておいたから自分は大丈夫」とか「治してからあの仕事でアピールすれば大丈夫」と考えて休むことができます。精神的にも体力的にもかなりラクです。だからカイシャには人がとどまり、継続的な労働力が提供されます。しかし一方、それが老害を生んでいます。

最近はカイシャに余力がなくなってきました。明日ではなく今日、成果を出してもらわなければ困るという切羽つまった状況が多くなりました。過去に実績を上げ、高い給料を取っているクセに今日の仕事は大したことが無い人間は排斥されつつあります。当たり前です。余裕がなくなると自然に近づくのです。

餌を捕食できなくなった野生動物が死んでいくように、またラーメン屋が不味い一杯を出したとたんに職を失うように、誰もが今日の仕事が勝負だと考えるべきです。そのために心身の調子を整え、ゼロベースで最善の準備をしなければいけません。それが本来です。過去の実績は関係ありません。

自分で勝負をするということは、自分でリスクを負うということであり、そのリスクの分だけ、自由を得るということでもあります。私はそのほうがさっぱりしていて好きです。(老害は大っ嫌いです)

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